「ループ」三部作をお読みになりましたか?あの鈴木光司作の「リング」
「らせん」と続き、「ループ」で完結する(のか?)三部作です。もしまだ
だったら、読んでから、このコーナーをお読み下さい。他の人の楽しみを台無
しにしたくないですから。
さて、では、読んだ方、この三部作の完結のしかたに納得ができましたか?
わたしはできません。わたしの友人もできませんでした。
作者によると、「リング」「らせん」を書いている時には、それぞれ、「ら
せん」、「ループ」のことは頭になかったということですが、それがこの納得
のいかない結末になっているのだと思います。
「らせん」は「リング」が終わるところから始まっているので、この二つに
は矛盾が見られません。が、「リング」と「ループ」になると、かなりつじつ
まを合わせるのが苦しい部分が出てきています。
ここでは、その部分について、わたしたちの理解できない点を挙げていきま
す。
もし、これについての答えをお持ちのかた、ぜひこのページの下の欄から、
筆者にお返事を下さい。
● 「らせん」の中でよみがえった高山竜司と「ループ」の中で現実空
間から仮想空間「ループ」に戻った後の二見馨は、同一人物か?
「らせん」という物語と「ループ」という物語。この二つの小説をどのよう
に位置づけるかの問題です。
まず、いちばん素直な考え方は、「らせん」と「ループ」は全く重なる物語
である、という取り方だと思います。
馨が「ループ」界に戻るために、竜司の死体の腹から暗号を出したりして、
安藤を復活のために関わらせるような細工をした。つまり、「らせん」の冒頭
の部分から、馨とエリオットがかかわっていた。
しかし、その場合問題になるのは、「らせん」の中で復活した高山竜司の人
格は、最後の安藤との会話から推しはかると、「ループ」の中で復活した高山
竜司(=馨)とは明らかに違う、ということです。「らせん」の最後の竜司の
セリフは明らかに品のない、生前の竜司(浅川の見た竜司。高野舞の竜司観は
ちょっと違うようですが)そのもので、どう考えても、これは馨のいいそうな
セリフではありません。「ループ」の中での復活した竜司と安藤との会話は、
むしろ馨にふさわしいように書き直されています。
また、復活時(生後1週間後)の竜司の年令についても、「らせん」では
死んだ時と同じ年令(つまり、32歳)とあるのに対し、「ループ」では、馨
の年令(20歳)となっています。このへんにも食い違いがあるわけです。
この矛盾を考慮に入れると、もう一つの解釈の余地が生まれてくるわけで
す。
つまり、「らせん」は現実空間に生きる人々(馨やエリオット)の介入なし
の「ループ」界の行きつく末を描いたものではないか、というものです。つま
り、「らせん」と「ループ」の最後の部分は一種のパラレルワールドになるの
ではないかと考えられるわけです。
仮想空間の「ループ」界では、リングウィルスが猛威をふるい、人類は山村
貞子という一つの遺伝子に収斂され、進化をやめ、停滞してしまう。
一方、この「ループ」界の終焉を見たエリオットは、現実空間がたどりつつ
ある同様の運命を阻止すべく、馨を「ループ」界に送ろうとするわけです。つ
まり、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」や「ターミネーター」と同じよ
うな発想になるわけです。
そう考えると、上記の矛盾も解決するのではないでしょうか?
しかしながら、一つ疑問点が残ります。馨がウェインスロックで、ヴァー
チュアル・リアリティのヘルメットをかぶって、「ループ」の世界を体験する
ところがあります。その時、安藤に視点を固定して「ループ」界で起こったこ
とを見るのですが、この描写に竜司はいっさいでてここないのです。というこ
とは、実際に「ループ」界で起こったことは、「らせん」に描かれたこととは
違って、竜司の腹の中から暗号も出てこなければ、竜司の復活もない、という
また別の展開になっているようでもあります。
さて、では、「らせん」で描かれた世界と「ループ」で描かれた世界とは
いったいどんな関係になっているのでしょう?
ご意見をお聞かせ下さい。
● ちょっとあら探しですが・・・
もうひとつ、これはどう考えても、作者のミスではないかと考えられる点が
あります。それは、「ループ」の最後で、山村貞子を処女としている点です。
「ループ」全編を通して、神の存在が暗示されています。「ループ」界(仮
想空間)にとって現実空間が存在したように、この現実空間にも上位空間が存
在するのではないか、ということは作品の部分部分から読者が感じることだと
思います。そして、「ループ」界を創造したプロジェクト・チームがあったよ
うに、現実空間にも創造主=神という存在があるのではないか、ということも
暗示されています。「ループ」最後の章のタイトルが「降臨」となっているよ
うに、明らかに、作者は人類の救済のために下位空間に送られた馨をイエス・
キリストになぞらえています。そして、そのイメージをさらに重ねるために、
馨の誕生をキリストと同じように、処女懐胎に結びつけたかったのは、理解で
きるのですが、これは「リング」と「らせん」を読んだ者にはすぐにわかる間
違いです。
「リング」では、山村貞子は最後の天然痘患者(これが「らせん」でポイン
トになってくるわけですが)長尾城太郎に強姦され、肉体交渉を持ったことに
なっています。また、復活後も、「らせん」で山村貞子は安藤と関係を持って
います。というわけで、山村貞子は明らかに処女ではありません。
● 竜司の願いはかなえられたか?
「そちらの世界につれていってくれよー。」というのが、高山竜司の最後の
願いでした。それを聞いたエリオットが、仮想空間にあってそれを仮想空間と
見破り、さらに上位空間があることに気がついた高山竜司の知性に感心して、
彼の願いをかなえようと思ったわけですが、それは果たしてかなえられたと言
えるでしょうか?
わたしはそうは思いません。確かにDNAは二見馨という高山竜司そっくり
の肉体で再現できたでしょうが、そこに宿ったのは高山竜司とは全く別の人格
=魂でした。エリオットはDNAは再現できても、同じ魂を入れることまでは
できない、という重要な点を見落としていたのでしょう。クローン人間の未来
を暗示しているかのようです。
● やっぱり「リング」がエンターテーメントの最高峰
「ループ」三部作の中では、わたしは「リング」がいちばん楽しめました。
読者をひきつける要素を持っているのだと思います。
まず、謎解きの要素があること。一種の読者参加になるわけです。読者も、
いつの間にか、主人公(浅川和行)と一緒になって謎解きに加わってしまいま
す。
次に、一週間と謎解きの期限が決められていること。この緊迫感が、主人公
に完全に一体化している読者に伝染してしまうのです。また逆にこの緊迫感ゆ
えに、ますます読者は主人公に深く一体化していくわけです。
普段は読むのが遅いほうのわたしですが、「リング」はあっという間に読み
終わりました。それは、上のような要素によるものだと思います。
● それでもやっぱり「ループ」三部作はすばらしい
あらさがしをしてしまいましたが、ここまで真剣に読ませる「ループ」三部
作はやっぱりすばらしい作品だと思います。「リング」と並んで、ホラーの大
作と呼ばれる瀬名秀明の「パラサイト・イブ」も読みましたが、こちらは疑問
も抱かずにさらっと読んでしまいました。傍観者的立場に終始してしまったと
いう感じです。それと比較すると、「ループ」三部作は読者を巻き込む迫力を
持っていると思います。
● ぜひ、ぜひ、お便り下さい。
というわけで、他の読者からのご意見を心からお待ちしております。お便り
をいただき次第、更新して、このページでご紹介します。下の欄から、メール
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