Anglo-bites

 **イギリスつまみ食い**

第22回の目次

● オフィス街の部分日食
● イギリスの家の年齢をあてよう(1)
● 一言イギリス英語講座 - "no room to swing a cat"
● ひさびさの次回予告

     ● オフィス街の部分日食
     
       8月11日には、イギリスでは、コーンウォールとデボン州の一部で、皆既日食     
     が見られました。わたしは、会社のテレビでチャンネル諸島の一つ、オールダニー
     島からの中継による皆既日食を見た後、実際の部分日食を見ようと外に出ました。
     それまで晴れていた空に、いつのまにか雲が一杯。見るからに一雨降らせそうな
     真っ黒な雲まで垂れ込めています。気温もかなり下がって、半袖姿でオフィスから
     出てきた女性たちはふるえていました。そして、通りに出た何百人もの人たちと同
     じ方向をしばし眺めてみました(これ自体ちょっと異常な風景)が、雲ばかりで太
     陽がどこにあるのかもわかりません。これでは時間の無駄と、早々に席に引き上げ
     てきました。30分ほどして窓の外を眺めると、また晴れているではないですか。
     そういうわけで、結局、日食のための暗さなのか、雲のための暗さなのかよくわか
     りませんでしたが、部分日食では、やっぱり真っ暗にはならないのですね。それに
     しても、科学の進歩した今だからこそ、日食の仕組みもわかって、こんなふうに天
     体ショーを楽しむことができますが、これが突然起こった怪奇現象であった昔だっ
     たら、さぞ恐ろしかったことでしょう。
     
     

     ● イギリスの家の年齢をあてよう(1)


       イギリスには、築後100年、200年と経った家も珍しくありません。ついこ     
     の前も、タウン誌に入ってきた不動産広告には「築250年」という売り家が載っ
     ていました。こういう古い家を買うと、新しい持ち主は真剣になって家の歴史を探
     るものですが、持ち主でなくても、家の建てられた年代というのは興味のあるもの
     です。そこで、今回、次回と二回に分けて、その家がいつ頃建てられたものかを、
     外見だけで判断する方法というのをご紹介しましょう。

     立地

     古い家は、町や村の中心、とりわけ、教会や市の立つ場所の近くに建っています。     
     産業革命が進展してきた19世紀頃になると、裕福な工業家などが、工場や事務所
     に近い郊外に大きな家を構えるようになります。さらに、ヴィクトリア朝になり、
     都市部の人口が爆発的に増加するようになると、中産階級は郊外へ移り住むように
     なります。これには、汽車や路面電車の発達といった原因も見逃せません。(ただ
     し、イギリスでいう郊外は日本よりずっと都市部に近い地域を指します。東京でい
     うと、吉祥寺や上石神井くらいが、イギリス人の感覚での郊外になるようです。)
     田舎の農家はチューダー朝であることもありますが、主に、アン女王時代かジョー
     ジ王朝など、18世紀の囲い込み法成立以降のものになります。

     高さ
     
        一般的に古い家ほど、低い構造になっています。チューダー朝の頃には、町の中
     心地の地価が高騰したため、5階、6階、といった当時で言う高層ビルも出現しま
     すが、木造建築で、高層化の技術も未熟であったこともあり、現存するものは少な
     いようです。

     奥行き

       18世紀までは、一部屋分の奥行きしかない家がほとんど。それ以降になると、
     前後に二部屋といった間取りの家が現れます。
     
     建材

       15世紀までは、良質の石の手に入るところ(コッツウォルズ地方など)以外で
     は、ほとんどの家が木造でした。この頃の庶民の家の寿命は短く、持ち主が死ぬま
     で持てばいいほう。17世紀になると、良質の木材が手に入りにくくなります。こ
     の一因として、16世紀から17世紀にかけて建て替えブームがおこったこと、当
     時のイギリスの繁栄を担っていた海運貿易の発展のために、大量の木材が造船に使
     用されたことがあげられます。また、同時に、火災の危険性が叫ばれるようになり、
     1605年には、ジェームズ1世の名前で、ロンドンでの木造住宅の新築を禁止す
     る法律が発布されます。ところが、これは人々に無視されます。1666年、ロン
     ドンで大火災が発生すると、これ以降は煉瓦造りが主流になり、18世紀には全国
     に煉瓦作りの住宅が普及します。

     屋根

       15世紀までは、石やスレートが手に入らないところでは、ほとんどが、わら
     (かや)ぶき屋根でした。時代を経て、瓦、スレートが使われるようになります。
     瓦は、早くも13世紀頃に、現在のオランダを中心とする地域から伝わっていまし
     た。ところが、瓦を焼くための燃料が高くついたため、とても庶民の手の届くもの
     ではありませんでした。本格的に普及するのは、17世紀、煉瓦作りの技術の発展
     に伴い、大量生産が可能になり、瓦が比較的安価で手に入れられるようになってか
     らです。スレートはヴィクトリア朝に普及します。汽車や運河などの交通手段が発
     達し、良質なスレートの産地のウェールズからの輸送が可能になったためです。

     ドア

       中世からチューダー朝にかけてのドアは、最上部が尖っています。これが時代を
     経るにつれて、だんだんに平たくなり、アーチ状を経て、18世紀以降はドアは、
     完全に四角になります。また、古い時代のドアは、木材を縦に並べてくっ付けたよ
     うな形でした。その後、木材が不足するようになり、ドア枠に上下左右に木材を渡
     して補強し、その間を薄い板で埋めた、パネル・ドアが17世紀になって登場しま
     す。このパネル・ドアの出現によってドアのデザインの種類は飛躍的に増加します。
     ドアの取っ手やノッカーなどの付属品が現れたのは、18世紀になってからです。
     もっとも、ドアというのは、一番人目をひくところ。それゆえ、最も頻繁に流行の
     ものに取り替えられる可能性が多いため、一概にドアだけで年代を判断するのは
     ちょっと難しいところがあります。



       古い家の窓ほど、小さく、横に長くなっています。中世においては、窓は明かり
     取りというよりは、もっぱら換気のためのものでした。(当時は、家の中心に炉が
     あったので、家の中はそれはそれは煙っぽかったそうです。このため二階に部屋を
     作ることができず、それが長い間平屋造りしかなかった理由の一つでもあります。)
     ローマ人にはガラス作りの技術がありましたが、ローマ人がブリテン島を去った後、
     この技術は失われます。この後、普通の家では、17世紀までガラスはほとんど使
     われません。油を引いた紙や布などで窓を覆っていました。ガラスが完全に普及す
     るのは19世紀になってからです。15世紀に、側面についたちょうつがいで内側
     または外側に開く窓が登場し、16世紀後半から17世紀初頭にかけて広く使われ
     るようになります。何枚もの小さなガラスを鉛でつなぎあわせ(ダイアモンド型の
     パターンは最も代表的。)、それを鉄製の窓枠にはめ込んだものが一般的です。
     17世紀終わりから18世紀初めには、上げ下げして開く窓が現れます。これに伴
     い、窓から鉛が消え、代わりに木が使われるようになります。開閉の際の衝撃に耐
     えられるようにです。また、最初は、上下一つずつの大きな窓枠に、縦4列横4列
     合計16の小さなガラスがそれぞれはめ込まれていました。次第に数が減り、最後
     には、上下一枚ずつの大きな窓ガラスが使われるようになります。技術の向上によ
     り、ガラスの強度が上がり、大きなガラス板を作ることができるようになったため
     です。

       さて、今回はイギリスの住宅の歴史を分野別・縦割りにざっと見てきました。次
     回は、過去250年間に的を絞り、今度は横割りにして見ていきます。各住宅建築
     様式の特徴を時代ごとにご紹介していきます。


     ● 一言イギリス英語講座 - "no room to swing a cat"

       イギリス人(イングランド人と言ったほうがいいかもしれません。ウェールズ人     
     やスコットランド人のことはよくわかりませんので。)には、海に対する特別な思
     い入れというのがあるようです。夢は海辺の町に引退すること。(風の強い海岸沿
     いの気候が年寄りの健康にいいとは思えないのですが。)そして、不安定な天候に
     もかかわらず、ヨットやモーターボートはイギリス人の間でとても人気のある趣味
     でもあります。(せっかく、ボートを買っても一年に数えるくらいしか使えないの
     に。)これは、やっぱりバイキングの血が流れているからか、それとも七つの海を
     またにかけた大英帝国の輝かしい過去が忘れられないからなのか・・・。原因は定
     かではありませんが、普段よく聞く言葉の中にも、海(特に海軍)に由来する慣用
     句がたくさんあります。これらの慣用句は、一つ一つの言葉からは全然意味が推測
     できません。由来を知って初めて納得できるようなものばかりです。それゆえに、
     ときどき人が集まると、座興にみんなでこういった言葉の語源を当てるクイズなど
     も始まったりします。今回と次回は、そんな海軍に語源を持つ言葉を紹介します。
     今回は手始めに二つだけ。
     
     Cold enough to freeze the balls off a brass monkey

       猿とは全然関係がありません。意味は「すごーく寒い」。1835年にはすでに
     使われていました。その昔、真鍮のフレームを使って、軍艦のデッキに、大砲の玉
     を積み重ねておきました。この真鍮のフレームが brass monkey と呼ばれます。寒
     くなると真鍮が収縮して、大砲の玉が落ちたことから、この慣用句ができました。

     No room to swing a cat

       意味は「狭い場所」。1665年にはすでに使われていたそうです。昔、海軍で
     規則に違反した者を罰として鞭で叩きましたが、この鞭が cat と呼ばれていまし
     た。猫のひっかき傷と同じような傷痕を背中に残したからです。船の中は狭いので、
     鞭を振りまわす場所もなく罰はデッキの上で行われました。そこでこの慣用句がで
     きたというのが通説です。一方、この慣用句は実際にしっぽを持って猫を振り回す
     ことのできる広さについて言及している、という説もあります。(でも、普通、猫
     を振り回すか?)


    

    
     (ジュンコさんが挿し絵を作ってくれました。イメージ出ているでしょ?吹き出し
     部分をクリックしてかわいそうな猫を助けてあげて下さい。)


     ● ひさびさの次回予告

       このコーナーのスタイルをちょっと変えてから、その目的を達成するため、更新     
     を以前より頻繁にしています。いかがでしょう?

       次回は、9月の行事で始まり、メイン・トピックと一言イギリス英語講座では今
     回の続きをおおくりします。どうぞお楽しみに。
     

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